生命に宿る 宇宙意志への探究記

カラダと心、そして宇宙を繋ぐ。

適応障害というスペシャリティ

「好奇心」の存在理由

こんにちは小坊主です。

 

今日は「好奇心」について綴りたいと思います。

 

 

好きな事、やりたいことって人によって全然違うと思います。

 

兄弟でも全然違う。

親戚とも違う。

親とも違う。

 

 

 

顔も似てる。

 

声も似てる。

 

仕草も似てる。

 

でも、好きなものは違う。

 

 

 

 

 

僕は、ここに好きや好奇心というものに存在理由があると感じています。

 

もっと言えば、宇宙と繋がりがあるとすら思います。

 

 

実はそう思えるのには理由があって

 

僕は10年前に適応障害と診断され

それまで好きとか好奇心とかって感覚がわからない人間でした。

 

でも、精神的な症状が出始めてから

 

自分の好きと向き合ううちに、

それが仕事と繋がりを見せ始めたからです。

 

「好きや好奇心には存在理由がある。」

 

自分の実体験からそう感じざるおえませんでした。

 

 

ちなみにですが、

 

僕は「好き」と「好奇心」は少し違った解釈をしています。

 

「好き」は一生変わらないであろう普遍に近いもの。安定している心の性質。

 

「好奇心」はその場その場で、興味が駆り立てられる心の方向性。

 

 

特にこの「好奇心」

 

これには宇宙を感じざるおえません。

 

理屈で考えている自分と

 

時に全く逆の方向性を示したりしてきます。

 

しかし、思ってもみない結果に繋がることが多くあります。

 

 

なぜ、この好奇心が人によって時間と空間によって全然違うのか想像してみてください。

 

もし、神様が好奇心というものをお作りになったのなら

 

それには役割があるはずです。

 

必要でないなら進化の過程で淘汰され好奇心なるものは感じなくなっている

はずです。

 

 

 

僕は大袈裟かもしれませんが

 

光の速度が誰からみても一定であるように

 

「好奇心こそが、全人類にとっての羅針盤

 

だと感じています。

 

 

 

 

 

 

この植物は日当たりの良いところに置いていたのですが

 

こんなに、葉っぱが光の方へ行ってしまいました 笑

 

明るい方へ伸びたいという欲求は

生命にとって皆共通なのかもしれません。

 

それでは。